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最高裁判所第三小法廷 昭和60年(あ)279号 決定

本籍・住居

千葉県印旛郡本埜村大字将監三〇七番地

会社役員

小林信善

昭和一一年三月三一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六〇年一月二八日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人内田武文、同深田鎮雄の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 長島敦)

○ 上告趣意書

被告人 小林信善

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、東京高等裁判所が昭和六〇年一月二八日言渡した判決に対し、被告人から申立てた上告の趣意は左記のとおりである。

昭和六〇年四月一〇日

主任弁護人 内田武文

弁護人 深田鎮雄

最高裁判所第三小法廷 御中

原判決は、第一審の刑の量定(懲役一年六月の実刑および罰金六、〇〇〇万円)が重きにすぎ、甚しく不当であるため、これを破棄自判して、右懲役刑につきその執行を猶予しなければ、著しく正義に反するにもかかわらず、せっかく破棄自判しながら、若干刑期を軽減したに止まり、依然実刑を科した点において刑事訴訟法第四一一条二号に該当し、よろしく破棄し、自判して、懲役刑につきその執行を相当期間猶予せらるべきものと思料する。

一 はじめに

1. 戦後わが国における租税制度は、従来のドイツ式からアメリカ式に変って、国民主権原理にもとづく、納税申告制度(納税者による納税義務を確定できる権利の行使を認める制度)を採用するなど、著しい変革が実施せられているけれども、いまだになお、幾多の不備、欠陥が指摘されるのは遺憾である。

たとえば巷間「クロヨン」(九・六・四)とか、「トウゴウサンピン」(一〇・五・三・一)などといわれるごとく、サラリーマン、一般事業所得者、農業所得者、政治家等の職業の相違で、税務行政における所得(収入)の捕捉率に、甚だしい不均衡がもたらされているのが実情である。

たまたま、先ごろ昭和六〇年三月二七日の大法廷判決において、この点に関する「サラリーマン税金訴訟」について、概ね右実情の存在を肯認せられたのは当然であろう。同判決はまた、「租税公平主義の見地からその是正のための努力が必要である。」旨のきわめて適切な説示もなされているから、この際本件についても、立法、行政と同じく具体的法実践としての裁判の立場から、被告人の所得税逋脱額が何ゆえに、多額にのぼったかの理由である、後記のごとき事情につき、ぜひともその懲役刑の執行を猶予するに足る、情状としてご賢察いただきたい。

2. なお、被告人は、これまでに前科はもちろん、何らの犯歴とて皆無の初犯者であって、ひたすら仕事一途に励んできた律義者であり、今や改悛の情もまことに顕著である。これに加えて、本件犯行にいたった動機も、後記のとおり大いに同情の余地があるので、確かに逋脱額は多額であろうとも、かの悪らつきわまる不正手段を弄して、莫大な脱税を敢てし、かつ、それによって利得した、いわゆるアングラ・マネーで目に余る享楽にふけったり、あるいは身分不相応のぜい沢に及んだ不の徒輩とは、異ることにぜひご留意を煩わしたい。

二 被告人の生い立ちなどについて。

1. 被告人は元来一介の百姓であった。千葉県下の一寒村における貧農の家庭に生育し、昭和二六年中学校を卒業するや直ちに家業を手伝い、僅かな農地の耕作に従事していたが、かたわら行商にも出ていたのである。その後同三二年妻和子をめとったのちも、夫婦共かせぎの貧乏ぐらしがつづいたが、そのうち行商に際し携行していた、自家製の餠が評判を取り、よく売れるようになった。そこで逸早く同四一年ごろからは、消費者たちの便宜のため予め切った餠を持参することとし、ここにいわゆる切餠の製造販売業を営むにいたった。

爾来被告人は、江戸時代の経世家二宮尊徳の唱えた“勤倹貯蓄”を処世訓として、夫婦力を合わせて業務に励んできた。午前三時ごろには起床し、午後一一時ごろまで、時にはようやく翌日午前一時ごろ寝に就くこともあったほどで、まさに超人的辛苦の連続であった。すでに中学時代“頑張り屋”という異名を取っていた面目を、存分発輝したのである。

2. なお、日ごろ居住地域の社会奉仕にも力をいたし、若いころから消防団員として活躍したり、印西安全協会の役員または指導員を勤めて、交通安全のために貢献して表彰され、あるいは昭和五九年一一月六日には、居村から村制七〇周年記念の自治功労者としても表彰を受けた。(被告人の第一、二審公判廷における供述および収税官吏に対する58・4・11質問てん末書、証人横溝和夫、同広沢正一、同小林和子の第一審公判廷における各供述、並びに第一、二審公判廷に提出した各表彰状。)

3. ところで被告人は、戦後の社会現象として、八百屋、魚屋、小間物屋などの中小零細企業の大半が、個人事業から法人事業に切換えることによって、租税法上有利な処遇を受けるにいたった事実に、決して無関心ではなかったけれども、何ぶん昭和四九年ごろから同五六年七月ごろまでは、自己の姉幸子の夫で同村内の同業者である義兄小林三好の事業と合併して「千成餠」の商標を用い、共同経営に当っていたため、法人企業に改めることにつき、不同意を唱える右義兄に強いて逆らうこともできず、まして被告人自らも、一般日本人と同様“権利”の観念に乏しく、自信も持つことができなかったため、折から“切餠ブーム”とよばれた、売行き好転による多忙のままにその機会を逸していた。(被告人の第一、二審における供述、および検察官に対する59・2・15供述調書一項。)

4. しかし被告人は、昭和五八年四月に入って図らずも、本件脱税の容疑で東京国税局収税官吏の査察を受ける事態を迎えたため、ここにようやく自己の営業用資産の全部を投資して、同年九月六日名前の一字を用いた株式会社丸善(資本金五〇〇万円)を設立し、その代表取締役に就任して、法人事業とすることに改めたほか、かねて前記ブームの到来に対処するため、昭和五六年一一月ごろから本格的操業を始めていた、自己の長男小林英文(当二六歳)名義の事業所「はまゆう食品」(前記妻和子の郷里である茨城県鹿島郡鉾田町所在)も、また、同額の資本金で右英文を代表取締役とする株式会社「はまゆう」に改めた。なお、その後いずれも税理士細矢正雄の指導下に経理を行い正確を期している。(被告人の第一、二審公判廷における供述、検察官に対する59・2・15供述調書および収税官吏に対する58・7・1付、58・10・30付各質問てん末書。)

5. まことに今となっては皮肉きわまることながら、被告人が本件刑責を問われている、昭和五五年ごろから俄かに前記“切餠ブーム”の到来によって売上げが増大したので、それこそ被告人夫妻は、夜の目も寝ずに立ち働いたのであったが、その結果はかえって身の不幸となってしまった。そのうえ被告人は、あたかもそのころから主原料の内地米(国際価格の数倍高値である。)に、安いトウモロコシ澱粉末を適量混入して、その分だけ安くなるのに、かえって非常においしくなったとよろこばれた、独自の安価で美味な切餠を生産し、あるいは脱酸素剤を使用することで“カビ”の発生を防止長保ちさせる独特の方法をいち早く採入れるなど、創意工夫をこらした結果、未曽有で抜群の売上げ増加を記録したのであった。(被告人および証人横溝和夫の第一審公判廷における各供述。)

三 本件犯行の動機、態様について。

1. 被告人は前記のとおりのつつましい律義者であって、ぜい沢や華美な生活とは全く無縁である。

ただこの業界では、主原料である米が高価であるうえに、現金取引の慣習があって、常時相当の大金を用意しておく必要があり、作業の機械化については日進月歩の性能のよい機械と買換えねばならず、工場施設の拡張、整備にも、もちろん大金を投じなければならなかった。これらに加えて、世の常として他人を真似る同業者が逐年続出して、競争は激化するばかりであったし、業積の浮沈も常ならず、倒産者も出る有様で、被告人としては、この競争に勝ち抜く一方、不況に備えての用意も心がけねばならなかった。これもひとえに、自己および妻子並びに従業員(常時約五〇名、繁忙時パートタイマーをふくめて約一〇〇名)およびその家族ら一同の安泰を図ってのことに、ほかならなかったのである。(被告人の第一審公判廷における供述および収税官吏に対する58・4・11付、58・4・26付、58・11・12付各質問てん末書。)

2. なお、さらに被告人にとってまことに同情すべき犯行の動機も、ここに指摘しておかなければならない。

すなわちそれは、被告人の身近な居村内には前記義兄小林三好以外にも、同人の甥の木村幹雄がやはり同業者として「木村食品」を経営していたことである。しかも右両名は、いずれも相当の資産家であるのみならず、互いに血族関係があるため共同戦線を張って事毎に被告人に対抗する始末であった。とくに木村幹雄は、堂々と被告人の得意先を荒しまわって憚らないなど、理不尽な仕打ちに出た。そこで被告人も、やむを得ず、前記のとおり遠隔の土地に所在して、右両名の目の届きにくい当時ほとんど休業状態同然であった、長男英文名義の「はまゆう食品」の事業を本格化し、そのための資金にも役立てたわけである。(被告人の第一審公判廷における供述、および収税官吏に対する58・4・11付、58・4・26付、58・7・1付、58・7・10付、58・11・12付の各質問てん末書。)

3. 因みに、第一審判決書第一の二および第三掲記の「罪となるべき事実」のうち、被告人は右「はまゆう食品」による所得も、自己の事業分として捜査官のいうままに、これを計上することを容認して起訴されたところ、果していかなる理由によるのであろうか、いまだに不審にたえないことには、被告人と相前後して、いずれも第一審の千葉地方裁判所(但し、担当裁判官は異る。)に各自個別に起訴せられた、前記小林三好、木村幹雄の両名とも、これまた被告人に対する本件第一審判決が宣告されたのと相前後して、それぞれ懲役刑につき執行を猶予せられ、しかも小林三好は、前記のごとく被告人と共同経営に当っていた昭和五五年度分は起訴を免がれ、只同五六年度および同五七年度の二年度分の違反のみについて起訴されていたのに対し、被告人は同五五年度から同五七年度までの三年度分にわたる違反の刑責を問われたために、勢い逋脱額も多く認定されたうえ、実刑に処されるという甚だ不公平な憂き目をみた。まことに心外にたえぬところである。(被告人の第二審公判廷における供述。)

4. 犯行の態様については、これまた、この種事犯の多くに共通して採られる仕入の水増し、年間の売上収入や仕入の一部除外などであって、とくに悪質とするに足りない常套手段にほかならない。

なお、前記「はまゆう食品」の事業所得についても、被告人としては決して当初から脱税の意図で長男英文名義の別個の申告をしていたわけではない。ただ、何ぶん同事業所が遠隔の土地である前記茨城県鹿島郡鉾田町に所在し、その管轄税務署も異るので、被告人としてはかねてから長男名義で同地を管轄する潮来税務署に申告する積りでいた処、被告人の居住地である本埜村商工会会長であった小林三好の勧告に因り、成田税務署に長男名義で別個の申告をしていたのにすぎないところ、たまたま前記三の2のごときライバル「木村食品」らへの対抗策のためと、かたがた“切餠ブーム”の到来による増産の必要から、昭和五六年一一月ごろ以降操業を本格化していったのであった。従って、もちろん「はまゆう食品」関係の取引が、被告人自身の取引とみる容疑事実を争う余地が全くなかったわけではないが、潔よくこれを自己の取引による事業所得として容認した次第である。

なお、仮名預金の点についても、世上有りふれた平凡な所得隠しの手口であって、なおこれまで被告人から多額の預金を預ってきた金融機関の示唆、協力に負うところも大きいのである。(被告人の第一審公判廷における供述および検察官に対する59・2・15付、59・2・17付各供述調書並びに収税官吏に対する58・4・11付、58・4・26付、58・7・10付、58・11・12付各質問てん末書。)

四 第一審判決または原判決後に生じた情状について。

1. 被告人は、昭和五九年八月二二日余想外に厳しい第一審判決の宣告を受けるや、一層反省の実を示すべく八方奔走したあげく、それまで滞納となっていた国税および地方税(村県民税)の合計一億七、六六〇万八、四三〇円を完納した。これは行政上の制裁措置としての過少申告加算税額、重加算税額、延滞税額であって、すでに多額にのぼる修正申告税額は、納付済みとなっていたのである。かくして被告人がようやく完納できた、昭和五五年度分から同五七年度分までの所得税等の国税は、合計金五億七、三二三万六、四〇〇円となり、これに原審に提出した控訴趣意書第三の2掲記の地方税納付済額を加えれば、実に合計金六億八、七七二万九、六一〇円の巨額にのぼる納税義務を美事完逐したわけである。まことに自己の担税力を超えると思われるにもかかわらず、また、いかに執行猶予の恩典に浴したい一心からとはいえ、おどろくべき熱意の現れといわなければならない。(被告人の原審公判廷における供述および同公判廷に提出した納税証明書など多数の証拠書類。)

2. 昭和五九年九月日付不詳の読売新聞朝刊によれば、「税滞納最悪六、六五七億円-自営業目立つ焦げ付き三七七億円」の見出しのもとに「五八年度末における所得税、法人税など国税の滞納総額は金六、六五七億円にふくらみ、前年度末に比べ七・三パーセントも増えたことが、一一日(同年九月の)国税庁のまとめで明らかになった。取り立てたくても財産がなかったり、本人の所在不明などで、徴税をあきらめた“焦げ付き”も三七七億円と史上最悪。申告所得税は課税決定額の七・六パーセントに滞納が発生、税種別構成比でも四割を占めるなど、自営業者らの滞納が目立っている。」とのことである。

果して右記事のとおりであるとすれば、これらの不心得な連中と対比し、被告人の責任感の強さはまさに賞賛に値いするものというべきである。

なお、被告人の窮状を見兼ねて、その滞納一掃のため快く多額の融資に応じてくれた、各金融機関の日ごろ被告人に寄せていた絶大な好意と信頼の程度も推察できるのである。

3. これに加えて被告人は、第一審判決後何とか贖罪の微意を現わすため、どこかしかるべき義捐金の贈り先はないものかと思案していた矢先に、たまたまマスコミの報道で、長野県木曽郡王滝村の住民が、昭和五九年九月一四日同地方を襲った未曽有の大地震のため、甚大な災害を蒙ったことを知り、直ちに家族や知人らにも諮ったあげく、同年一〇月二〇日当時被告人の弁護団の一員であった諸永芳春弁護士にも同道してもらって、遠路被災地の同村を訪れ、自己が前記株式会社丸善から支払を受けた同会社に対する事業用個人資産の譲渡代金の内、金二、〇〇〇万円を同村に見舞金として寄付した。その際被告人は、目を掩わんばかりの現地の惨状を目撃することもでき、せめて自分の寄贈した右浄財が何らかのお役に立つことができれば望外のよろこびと思い、感慨一入であったのである。これはまた滞納税額の完納と同様、何とか原審において執行猶予の恩典にあづかりたいという期待が決してなかったわけではないにしても、余人が容易に真似のできない善行であることに相違ないであろう。しかるに、被告人の切なくも哀しいこの期待は原判決により空しくなったばかりでなく、その後間もない昭和六〇年二月二日付読売新聞朝刊の全国版の社会面にデカデカと大きく「餠屋の執行猶予の期待も画餠に帰した。せっかく大枚金二、〇〇〇万円を王滝村の災害救助のために寄付までしたのに、東京高裁無情の実刑判決を下す。」との旨の、半ば揶揄的な記事が掲載されて、読者の目をひいたのであった。これを一読して虚無的心境に陥った被告人の胸中まことに察するに余りありというべきである。(被告人の原審公判廷における供述および寄付採納書、領収書、感謝状など。)

五 現行制度のもとにおける租税負担の不均衡について。

1. 被告人の本件逋脱行為は、昭和五五年度から同五七年度にかけての三年間にわたるもので、いずれも“切餠ブーム”到来前後の業績好転の際における個人事業当時の刑責を問われているものである。

すでにいささか前記一の1において触れたごとく、およそ現行租税制度のもとにおいては、とくに被告人のような個人の零細事業については、実態的にみて、これと同程度の規模の法人事業との間に、著しい租税負担上の不均衡が存在していることを見逃すわけにいかないのである。すなわち、(1)所得税は超過累進税であるのに対して、法人税は比例税(所得額のランクに関係なく、単一の率による負担。)となっている。(2)所得税では事業主報酬は原則として認められないのに対し、法人税では役員報酬は原則として損金に算入される。(3)所得税では生計を一にする親族従業員に対する給与については専従者控除制度による制約があるのに、法人税では親族従業員に対する給与も原則として損金に算入される。(4)所得税においてよりも法人税においては、寄付金、交際費等の営業経費の損金算入が事実上広く認められる。(5)以上の国税レベルの差異は、そのまま地方税である住民税、事業税にも波及し、従って一般的に法人住民税、法人事業税の軽減をもたらすことになる。また役員や従業員に対する給与所得相当部分には法人事業税は課税されず、それだけ法人企業と個人企業との間の租税負担の不均衡が拡大する。(北野弘久博士著「納税者の権利」一二五頁。)

2. そこで、いかに無智かつ権利意識の稀薄な被告人であるとしても、もしこれらの事情を弁えてさえいたら、前記二の4記載のごとき急迫事態を待つまでもなく、あわてて個人事業を法人事業に転換していたに相違なかったはずである。被告人は一時その気になって昭和五七年八月ごろ取引銀行顧問の税理士に来訪願い、そのことにつき相談に与ってもらったとともあったのに、折から盆すぎの繁忙期を控えての工場拡張、機械設備のための突貫工事が始るなど、多忙にかまけて沙汰止みに終り、あくまで個人事業として継続しながら、自力による資金の充実を目指していたものであって、今さら惜しまれるところである。(被告人の第一審公判廷における供述。)

3. その意味で原判決が、右租税負担上被告人がどれほど著しい不利益を被ったかの点につき、それほど多くの考慮を払うことなく、ただ“逋脱額が巨額である”との第一審判決の見解とほぼ同様にこれを重視するの余り、被告人に致命的な打撃を与える懲役の実刑を科したのはいかにも無情であり苛酷きわまるものである。まさに「角を矯めて牛を殺す。」の類いというべく、重きにすぎ甚しく不当であって、しかも著しく正義に反するゆえんである。

六 結論

叙上諸般の情状をつぶさにごしん酌のうえ、今後も大いにその活躍と納税義務の励行を期待せられる被告人に対し、一大勇断をもって、法の泪たる執行猶予の恩典に浴せしめられんことを切望してやまない次第です。

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